【2014年・御嶽山噴火】 

~噴火当日編~


その日(27日)の御嶽山は朝から燦然と輝く御来光に彩られ、これから訪れるであろう多くの登山者を心から歓迎しているかのように見えた。実際、二の池本館には10組23名の予約が入っており、9月最後の週末を山で過ごすのを楽しみにした人々の姿が目に浮かぶようだった。

二の池本館の営業もこの日を含めて残り4日となり、私たち二名のスタッフもラストスパートをかける気持ちで朝から張り切っていた。Sさんは広間や調理場、トイレ、風呂場を丹念に清掃し、私は少しでも広く快適に使ってもらおうと2階にある10室の部屋を全て開放しグループ毎に人数分の布団をセットして行く。

そして午前10時には米3升(30人分)を直径1メートルもある大きな圧力釜にセットして、チェックインしてくるお客様を待つばかりとなった。


【2014・9・27】


5時35分、紅蓮に染まる鱗雲の奥から厳かに御来光が顔を出した


視界全てを朝の淡い光が優しく包み込むような光景だった


オレンジに染まる万年雪も随分と小さくなった


8年間、ずっと変わらぬ景色だが、美しい二の池の姿は一向に飽きない。
剣ヶ峰で過ごした8年間も楽しかったが、今はこの光景が一番好きだ。


「ドーン!!」

という爆発音は全く聞こえなかった。

噴火が発生した午前11時53分、私は1階にある帳場(4畳ほどの広さ。帳面や金銭の管理を行なうと共に、そこで寝起きしている)にいた。

いつもならコーヒーやココアなど簡単な飲み物の他に、ラーメンやカレーライス山菜うどんなどの注文が入る時刻だったが、この日は珍しく館内にお客様の姿は無かった。

それでも、小屋の周辺には多くの登山者がいるようで、二の池を囲みながら思い思いに過ごす声が聞こえていた。

・・・そんな中での突然の噴火だった。




噴火を確認後、最初に撮影した写真。時刻は午前11時55分、2階の従業員部屋にいたSさんが帳場へ来て「ユウスケ!噴火した!」と教えてくれた。それはどこか、シーズン中に何度か起こる万年雪崩落による津波を知らせる時のような、興奮しながらも落ち着きのある声だった。

そして私は津波を撮影するのと同じくらい俊敏な動きで部屋にあったカメラを片手に広間の窓から外へと鋭く目を走らせた。



噴石の落下は長くても数十秒ほどで次第に煙は薄れていったが、横一列に広がった噴煙はこれからどのような動きをするのか予測すら出来ずに私はただただ目の前で起きている現実離れした光景と対峙していた。

私のすぐ横ではSさんが灰色の分厚い噴煙に包まれた剣ヶ峰の方角を見詰めながら、「R君は無事だろうか」と不安そうに呟いた。

  

この噴火の前に頻発した火山性地震については木曽町を通じて各山小屋へ連絡があった。二の池本館へは木曽町→オーナー→Sさんという順番に連絡が回ってきたが、それを聞いた時、私は正直、(何を白昼夢みたいなことを言っているのだろうか?)と首を傾げたものである。それはオーナーも同じ気持ちだったらしく、電話を受けたSさんも「とにかくそういう連絡が入ってきたので気を付けてくれ」という伝言を受けたものの困惑した様子だったと教えてくれた。

それでも気にはなったので、NHKのデータ放送・長野県版で確認しすると上記のような記述が見られた。確かに平成19年には小さな水蒸気爆発があり、剣ヶ峰周辺に降灰が観測されたという話は聞いていたので、それと同程度のものが発生するかも知れない、ということだけは頭に入れておくことにした。

これが9月11日、午後5時11分のことである。



しかし、現実に今、目の前で起きている状況はとても「ごく小規模な水蒸気爆発」と呼べる代物ではなく、空へ向かって伸びる噴煙は衰えるどころか勢いを増すばかりである。更に悪いことに、この爆発はどうやら同時に複数個所から起きているらしく、都合3回ほど大きな噴煙が上がるのが確認出来た。

これは私が見た2つ目の大きな爆発だが、これまで(昭和54年)の噴火口とは全く違う場所から噴煙が吹き上がっている。

※因みに写真の右下の湖畔部分に2組7名、噴煙が迫る稜線上に4名の登山者の姿が写っている。





上の2枚はネットで見つけた航空写真だが、黄色の矢印で示した部分(左右同箇所)に縦列の噴火口が確認出来る。

ここは剣ヶ峰から継母岳へ向かうルートで、登山地図には不明瞭な登山道として破線で示されている部分である。かつて私も2回だけ歩いたことがあるが、ハイマツの緑と大小多くの岩礫が転がる光景からは噴火の可能性を感じるものは何一つ無かった。

 

有史以前の御嶽山は四の池→一の池→二の池→三の池→五の池(いずれも現在の火山湖)の順番で噴火したが、近年では地獄谷周辺で火山活動が顕著化しており、その活動は更に南西へと移動していると聞いたことがある。

また今回、継母岳へと至る地点に出来た噴火口からは火砕流が1・5キロ下流まで到達しており、その規模がいかに大きかったかが分かる。



とは言え、そのようなことを冷静に振り返ることが出来たのは、下山して1ヶ月以上経ってからのことである。広間の窓から見える噴煙は今にも頭上高く輝く正午の太陽に届きそうな勢いである。


また、継母岳方面から上がった噴煙は二の池からの距離が近く、爆発的な速度で立ち上がり始めた。


邪気を放つそれは、まるで一つの人格を持つかのように私たちに迫り圧倒した。


この後、噴煙の高さは上空1000メートルまで達することになる。この時点で二の池本館には悲鳴を上げながら避難してきた登山者が15~20名ほどいた。

只事ではないと判断した私は普段、食事をする場所として使用している1階広間に登山靴のまま上がってもらうことにした。二の池本館は館内を東西に通路が貫いているのだが、その土間の部分だけではとても避難してきた全員を収容することが出来ないと判断したからである。また、今後起こり得るであろう本格的な避難のことを考えると着脱に時間が掛かる登山靴を脱ぐのは適切ではないと考えたからである。


一方、再び剣ヶ峰へ目を転じるとこちらも噴煙の高さは止まるところを知らず、また一の池の底を這う壁のような火山灰が押し寄せているのが見えた。おそらく、これも低温の火砕流の一種ではないだろうか。


幸い、火砕流の先端は山肌を舐めるように僅かに一の池を越えただけで止まった。




二の池本館からも大量の火山灰が体積している様子が確認出来たが、時刻は午前11時59分。つまり噴火に気付いてから僅か4分という短い間に青空は消え、薄暗い灰色の空気に包まれたのである。


そして本当の恐怖はこれから30分間に亘り続くのであった。



午後0時35分、西側の扉(二の池本館方面)から外に出ると景色は一変しており、思わず息を呑んだ。色が無い・・・と絶句した。

さて、この30分間に何があったかと言うと、色々あり過ぎて詳細な順序は覚えていない。ただ、行動内容は鮮明に覚えているので以下、箇条書きに列挙したい。因みにこの間は心のゆとりも時間の余裕も無かったので、写真は一枚も撮影していないことを断っておく。

・噴煙が巨大になるにつれて館内に避難して来る登山者の数が増加する。
・窓から噴煙を撮影していた人にも広間の壁側へ避難してもらうよう指示する。
・湖畔を避難してくる登山者に西側の出入り口から手を振り、大声で避難するよう指示。

・お鉢巡りコースから避難したグループの中に外国人の女性が含まれており、取り乱した状態だった。
・周囲が灰で真っ暗になる前に殆どの登山者の避難が完了。
・子供、怪我人は無し。

・2階に上がろうとする中年女性がいたが、1階広間の壁側に留まってもらう(広間は2階建ての1階部分とそのまま上が屋根になっている場所の2つから成り、後者は噴石が屋根を貫いた場合、直撃する危険性が高く危険であると判断した)。

・五の池小屋の主人から電話があり、噴火した事実と現状を伝える。
・山麓にいるオーナーから電話があり状況を説明するが、衛星電話の調子が悪く途中で切れる。
・石室山荘のオーナーから着信があるが電波状態が悪く通話不能。

・バラバラと雹が降るような音を立てて粒の粗い火山灰が屋根に降り始める。
・避難して来た登山者全員に備え付けの黄色いヘルメットを配る。
・販売用のペットボトルのお茶(500ml)の在庫が1ケースしか無かったので2人に一本の割合で配る。

・Sさんが小屋にあるタオルを掻き集めて配る。
・名古屋の山岳会(19名)のリーダー(男性)から避難者の名簿作成を提案されSさんが対応する。
・短冊形の宿帳の裏側にカタカナで氏名を書いてもらう。

・49名が避難していることが判明。

・その後、真っ暗な中を全身灰まみれになった登山者2名が東側(黒沢口)の入口から避難して来て総勢51名になる。
・外が真っ暗になったので自家発電気を動かすため外へ出る。
・その際、ケータイの電波が繋がる場所まで移動してオーナーへ連絡を試みるが圏外で断念。

・発電小屋から小屋まで5メートルも離れてないが、戻るのが困難になるほど灰の密度が濃く、視界不良かつ目が痛い。
・周囲が真っ暗になり身動きが取れない中、黒沢口の扉から熱を帯びた空気と細かな火山灰、硫黄臭い火山性ガスが館内に漂い始める。
・西側の扉を開けて換気を試みるが空気が停滞しており上手く行かない。

・火山性ガスの濃度が高まる中、登山者はじっと耐えてくれたが、この時、最も命の危険性が高いと感じた(噴火口から500メートル離れた二の池本館でも火山性ガスによる呼吸麻痺=窒息死の可能性は十分に考えられた)。

・西側の扉から外の様子を確認しつつ避難経路とタイミングを計る。
・出来るだけ細かく外の状況を登山者に伝える。
・当初、賽の河原方面への避難を表明したが、降灰による視界不良により白紙撤回する旨を全員に告げる。

・登山者が避難している広間より奥にあるトイレの屋根に噴石が直撃して穴が開いているのを発見する。その後、男女1名ずつトイレを使用するが目に見えた混乱や動揺は生じなかった。

・一の池外輪山からガラガラと鈍い重厚な音を立てながら落石が続き、二の池に巨大な水柱が上がるのを4、5回目撃する。
・雷が鳴り響き、ぬるま湯のような温かい雨が数秒間、降る。
・火山灰同士の衝突による摩擦で火山雷(かざんらい)が発生するが、それ自体の存在は知っていたので、落雷などの恐怖は感じなかった。

・むしろ、雨によって空気中に漂う火山灰が沈降することへの期待感の方が強かった。
・降雨後、黒沢口から剣ヶ峰へ向かう稜線が視認されたので、黒沢口への避難を考える。
・石室山荘に電話して状況を確認後、避難を開始する旨、全員に伝える。皆、私語を慎み私の言葉に耳を傾けて頷いてくれたが、衛星電話のアンテナに火山灰が降り積もっており圏外だった(号泣)。

・そこで私の独断で避難を開始する旨、改めて伝える。

・マグマ噴火の可能性は否定出来ないものの、緩やかな斜面が長く続く賽の河原方面への避難はリスクが高いと考え、黒沢口・9合目にある石室山荘を第一次目標に避難を決断する(なお、万が一、マグマ噴火であった場合でも噴火口から石室山荘までの間には2本の深い谷があるので容易には到達しないだろうと考えた)。
・避難の目的は少しでも噴火口(危険)から離れることだった。

・東側の扉から一歩足を踏み出そうとした瞬間、150~200メートル先の平坦地に大小2つの噴石が緩やかなライナーとなって落ちるのを確認して中断する。
・かなり衝撃的な光景だったので広間の壁側へ避難するよう大きな声で指示するが現状を正しく理解していないのか、緩慢な動作をする登山者が2名ほどいて焦れったさを感じる。

・避難のタイミングが早過ぎたかと反省し、冷静に外の様子を伺うが、その一回だけで噴石は止んだので再度避難を開始する。

※因みにネット上では、火山灰で視界が効かない中、
「懐中電灯の明かりで小屋まで誘導してもらって助かった」という記述が見られますが、あれは私の行動ではありません。

どこの山小屋かは分かりませんが、八合目・女人堂から上にある全てのエリアが一時、夜よりも深い暗闇に支配された中でそのような行動を取れた同士の存在がとても心強く感じました。

※その後、調べたところ、写真家の津野祐次さんが避難する際、石室山荘のスタッフがライトの明かりで誘導したことが判明しました(御本人がラジオのインタビューで答えていました)。



東側の出入り口から避難するタイミングを見計らっている時に撮影した、落石によって上がる巨大な水柱。

目測による高さは掴み難いが、黄色の矢印で示した岩の大きさから判断すると、2メートルを超えていても不思議ではない。その後、カメラを構える右手に灰の混じった温かい雨が数的、当たった。

この光景だけは一生忘れられない、本当に地獄のような光景だった。

   
上の写真と同じ岩の様子(2014年9月22日撮影)
大きさはこれらの岩の4倍以上ある


午後0時48分、九合目半より上を石室山荘へ向かって避難する登山者の列。全体の1/4乃至1/3が通過したところを撮影。

因みに2007年の水蒸気爆発を受けて作成された地図がこちら。当時は王滝(田の原)、黒沢いずれの登山道でも配布されていたが、これを手にした私は、避難経路と言っても、結局は登山道を歩いて避難する以外に方法は無いんだよなあ・・・と途方に暮れたのを覚えている。

そして当時の私は僅か7年後にそれが現実のものとなるとは夢想だにしなかった。



二の池本館から石室山荘までの避難の様子は以下の通り。

・避難開始は12時35分以降、同40分までの間で、先頭に私、最後尾にSさんが付いた。
・二の池周辺の火山灰の厚さは5センチ程度でサラサラしており歩行には全く支障が無い状態。
・先行する私の足が早いとの声が出るが、その先の登山道の安全確保も必要なため、焦らず付いて来るよう指示。

・湖畔周辺の平坦部を抜け、石室山荘へ向かうY字路まで先頭を誘導した後、列の中央へ戻り落ち着いて避難するよう声を掛ける。
・全体の半分近くが分岐を過ぎた当たりで再び列を追い越して先頭付近の登山者の誘導に当たる。
・足が遅い御夫婦やグループには全体の避難スピードが鈍らないよう道を譲って頂くよう要請(快諾して下さった皆様に感謝致します)。

・黒沢口の手前からは火山灰を含んだ風が強くなるため、目や口を塞ぐよう注意する。
・黒沢口に出ると火山灰の体積が厚くなり、20~30センチほどに感じられた。
・浮石やガレ場で転倒する危険が高い場所も一面、火山灰に覆われていたことで却って歩き易かった。

・9合目半・覚明堂(NPOが運営する有人の避難小屋)は背後の崖が崩れやすくなっているため、出来るだけ中に入らず石室山荘まで避難してもらうよう指示する。

・覚明堂の手前では避難者同士の間隔が開きが顕著になったので灰で覆われた斜面を2、3回往復(駆け下り駆け上り)して出来るだけ多くの登山者に直接、避難指示を伝えるよう心掛けた。

・石室山荘に到着した際、まず最初にオーナーと山岳ガイドのY沢さんへ二の池本館から51名の避難者を誘導してきた事を報告すると共に、二の池周辺の様子を伝える。

・石室山荘の中は既に40~60名ほどの登山者が避難しており混雑していたが、順番に中へ入ってもらう。
・二の池本館と同様、石室山荘も小屋の内部を通路が貫いているため、8合目へ下山する際の扉は小屋の奥にあることを説明。入口付近に留まらないよう案内する。

・最後尾の登山者に寄り添う形で降りて来たSさんと覚明堂のやや下あたりで合流し、一人も欠くことなく石室山荘まで避難が完了するのを見届ける。


午後1時19分、石室山荘から見上げた噴煙。大量の噴煙が絶え間なく噴き出していた。





まるでモノクロ写真のように見えるが、下部中央に辛うじてブルーシートの青が見える通り、カラー写真である。石室山荘から覚明堂方面を見上げ、逃げ遅れた登山者が居ないか確認したのが午後1時11分だった。

従って、二の池本館から石室山荘までは30分程度で避難が完了したことになる。これは通常のコースタイムとほぼ同じで、非常にスムーズに運んだ証左である。

石室山荘に到着した後はオーナー含め3名のスタッフに指揮を託して、私とSさんは補助へと回った。

田の原から来た登山者も多く含まれていたため、ここから次の女人堂までの所要時間を伝えたり、地元の消防から下山指示が出るのを待たず強行に下山しようとする山岳会の男性をなだめる一方、頂上方面から下山してくる登山者のためにロープで避難路を示したりした。



午後1時27分、石室山荘のオーナーが点呼を取りながら登山者の下山を確認する。150名の登山者が列を乱すことなく順番に下山して行った。



午後1時33分、登山者の最後尾が石室山荘を後にした。150名を先導した地元の山岳ガイドのY沢さんは、道に迷う心配が無い場所まで登山者を案内した後、再び石室山荘へ戻って来てくれた。



150名もの登山者が一時避難した石室山荘内部。無事に全員の下山を見届けた後は安心すると同時に今後の小屋のことを考えると暗澹たる気持ちにならざるを得なかった。

下の4枚はネットで見つけた二の池本館及び、石室山荘に避難した登山者が撮影した写真です。


石室山荘から撮影した谷を駆け下りる噴煙


石室山荘に犇く登山者の方々


上の写真とは別の方が撮影した石室山荘内部の様子


発電機によって明るくなった二の池本館内部。右奥にある売店の窓の外は
視界が効かないほど火山灰が漂っている。


二の池本館と石室山荘に避難した登山者が全て下山した後、私たち5人は石室山荘に残った。

石室山荘オーナーと山岳ガイドY沢さんのケータイには地元の消防・警察と言った必要な連絡以外にも新聞・テレビなどメディアからの問い合わせが殺到し、電話が鳴り止むことが無かった。

そのため、必要な連絡がメディアからの着信に掻き消されたり、だだでさえ消耗が激しい高地でのバッテリーの減りが激しく、苛立ちを感じた。

一方、衛星電話で予約や問い合わせの遣り取りをしている二の池本館では、私のケータイに電話が掛かってくることは皆無だったので、8合目・女人堂に手伝いに来ていた大工さんや、偶々(たまたま)下山していた御嶽頂上山荘の支配人Tさんらと個人的に連絡を取り合い情報収集に努めた。

その結果、御嶽頂上山荘には2名のスタッフを含む30名余りの登山者が取り残されていることが判明したが、そのことは決して悲観するものでは無かった。なぜならば、一瞬にして剣ヶ峰を呑み込んだ噴煙の恐怖の中で多くの生存者がいると分かったからである。

ただ、それが分かったからと言って救助に向かえるような状況では無い。噴火口から至近距離にある剣ヶ峰周辺は今尚、最も危険なエリアであり、今後の火山活動がどのように推移するか全く予想できないため、じっと待つしか無かった。


そして、どれくらい時が過ぎただろうか、しばらくすると御嶽頂上山荘のスタッフAくんが自力下山可能な30名の登山者を伴って石室山荘に下山して来た。本人の目には涙が溜まり、避難して来た登山者の中には鍋を被った者が2、3名、枕を頭に乗せた者が1名混ざっていた。また、殆どの登山者は顔も髪の毛も灰まみれになっており、中には頭から流れ出した血が黒く固まっている人も居た。

その様子をひと目見ただけで剣ヶ峰で起きた惨状を想像することが出来た。


御嶽頂上山荘から稜線を歩いて下山する登山者の列。ネットで拾ったこの画像の詳細を知りたいが、未だ原画を見つけられずにいる。


噴火直後、御嶽頂上山荘に駆け込んだ登山者は一様に大量の灰を被っていた

御嶽頂上山荘から下山して来た登山者と周辺から遅れて避難して来た登山者の数は37名に上った。その間、私とSさんはずっと外に立って避難してくる人がいないか目を凝らしていた。

火山灰が降っているので登山道を見上げているだけでも目が痛い時もあったが、まだ残されている登山者のことを考えると小屋の中で待機する気持ちにはなれなかったし、外に人がいることでで少しでも登山者の不安を取り除くことが出来たら良いなと思った。

その後も色々あったが、それらのメンバーはメディアの取材に応じていないため、詳細は割愛させて頂きます。ただ、私が取った行動よりも更に踏み込んで登山者の救助にあたったスタッフがいた事、そして彼らの存在は同じ御嶽山で働く者として誇りに思うということを、皆さんにお伝えしたいと思います。


8合目・女人堂にも多くの登山者が避難したが、ヘルメットを着用する必要が無かったのが特徴だ


一方、すぐ隣で噴火が起きた王滝頂上山荘ではヘルメットが必須だった


王滝頂上山荘(左)と御嶽神社(右)の背後で激しく噴煙を上げる噴火口


そんな命知らずなスタッフによる奮闘の結果、石室山荘より上部にある剣ヶ峰山荘、御嶽頂上山荘、二の池本館には自力下山可能な登山者が取り残されていないことが判明した。

小屋のことを考えると(←その時はまだ戦後最悪の火山災害になるとは思っても見なかった)少しでも片付けをしておいた方が良かったが、「明日以降の捜索の妨げにならないよう極力、下山するように」という指示に従い、最後まで残った石室山荘オーナーMさん、山岳ガイドY沢さん、Rくん、Sさん、そして私の5名は午後5時丁度に石室山荘から下山を開始した。

レンズに火山灰が入った影響でデジカメが使えなくなったため、下山途中はケータイのカメラで撮影することにしたが、8合目・女人堂に辿り着くまでは一面、灰を被っており昨日、荷上げで歩いた時とはまるで別世界であることに驚きを隠せなかった。


丁度、一年前の2013年9月27日に撮影した黒沢口の紅葉

 
黒沢口9合目・石室山荘の真下にあたる登山道。昨日まで真っ赤に色付いていたナナカマドが大量の火山灰を被り変わり果てた姿になっており、ショックだった。


2005年8月29日、石仏の裏側から撮影


赤褐色の火山岩にも灰が積もって一面、灰色の世界に変化していた。


2013年9月27日、噴火前はオンタデが自生していた。


ほんの僅かな風向きの違いにより、登山道の右手に見える尾根は灰の量が少なかった。


2014年9月26日、昨日まではこんなにも美しい景色が広がっていたのに・・・


下山途中、最も衝撃を受けたのは、毎年見事な紅葉で彩られる山肌が死んだようになっていたことだ。


2012年8月7日、踏み締めるとジャリジャリと音がした登山道が懐かしい。


太古の噴火によって生成された黒石が一面に広がるエリアも他と区別が付かないほど灰に覆われていた。


2009年9月7日、青空を背に再び鐘の音が響くのはいつの日だろうか。


弘法大師が座す周辺も一瞬にして様変わりしてしまった。


2014年9月26日、昨日まで青白く輝いていた鳥居が泣いているように見えた。


刀利天の鳥居周辺にも2~3センチほど火山灰が堆積している。黒沢口の登山道には昭和54年の噴火でも火山灰が降り注いだ。


2013年8月9日、人の手で灰を払うことが出来なければ、せめて自然の降雨によってキレイに灰を洗い流して欲しいと願った。


8合目・女人堂の側にある霊神場にも火山灰は容赦なく降り注いだ。


昭和54年の噴火では火山灰によってダケカンバの立ち枯れが相次いだと言うが、今回はどの程度まで被害が広がるのか心配だ。


8合目から少し下った場所にあるナナカマドの葉にも火山灰が積もり重たそうだった。

ナナカマドやダケカンバの紅葉や高山植物と並び心配されるものの一つとして、雷鳥も挙げられる。2012年に中部森林管理局が行なった調査によると、御嶽山に生息する雷鳥は推定153羽で5つのグループに分けられると言う(下図)。

雷鳥は11~3月は標高2300メートル付近に生息し、春から秋にかけて2500~2700メートル付近まで移動するそうだが、今回の噴火で営巣するハイマツの根元や食料となるクロマメノキが火山灰に覆われてしまったため、生息に必要な環境が破壊される恐れがあると言う。

また、降灰が少ないエリアに移動したとしても、縄張りに新たな固体が入るとストレスを感じ、一気に数が減る可能性が指摘されている。石室山荘の外で剣ヶ峰から避難して来る登山者を待っている時に、王滝方面へ滑降して行く2羽の雷鳥を見たが、果たして無事に生き延びることが出来るだろうか。

普段は大人しい雷鳥があれだけ本気を出して飛翔する姿を見たのは初めてだった。




2014年6月30日に石室山荘付近で撮影した雄の雷鳥


仲良く一緒にエサをついばんでいた雌の雷鳥

下山開始から25分後の午後5時25分、私たちは8合目・女人堂に到着した。ここでは支配人のOさん、手伝いに来ていた大工のGさん、スタッフのTさん(女性)が待機していてくれた。丁度、紅葉の取材に訪れていたNHKの取材班が居たエリアだが、ここでも降灰によって真夜中より暗い不気味な闇に包まれたという。

ただ、雨に混じって灰が降ってきたものの、噴石などの被害は無く、噴火後も記念バッチを購入して下山する登山者もいたという。こうして見ると、やはり被害の大きさは剣ヶ峰>二の池周辺>石室山荘>女人堂という順番で、命の危険性も高かったように思われる。そして、これは個人的な意見だが、剣ヶ峰と二の池付近、それから二の池付近と石室山荘との間では言葉に言い表せないほど大きな危機感の差があったように思う。

そのような状況下で、二の池周辺の担当者として、自分の取るべき行動を誤らずに遂行出来たことに安堵する思いだった。

私たちの到着を確認すると、女人堂のスタッフも下山することになった。周囲は既に薄暗くなっているが、ここから先は山小屋関係者ばかりなので、そう時間も掛からないだろう・・・と思っていたのだが、7合目・行場山荘まであと数百メートルという地点で身体に毛布を巻いてうずくまっている長身の男性を発見した。

それに付き添うよう形で御嶽頂上山荘と女人堂のスタッフ2名がいたが、怪我をしているその男性はここまで下山してくるのにかなり体力を消耗したらしく一歩も身動きが取れないようだった。

そこで、石室山荘のオーナーと二の池本館のSさんが交互に肩を貸し合いながら行場山荘まで向かう。その時の私は石室山荘のオーナーの荷物を肩代りするのと、暗くなった登山道を懐中電灯で照らしながらルートを導くという割とどうでも良いようなポディションだったが、歩調を合わせてゆっくり進み、午後6時35分頃、行場山荘に到着した。

行場山荘では煌々と明かりが灯されており、オーナー夫婦やベテランの女性スタッフ(私と同期なので御嶽山16年目)がキビキビと働いていた。

何をそんなにキビキビ動く必要があるのかと言うと、頭から血を流したり、腕を怪我して衰弱し切った登山者が2、3名いたからである。

本来ならここからロープウェイの駅までは歩いて10分ほどの距離だが、肝心のロープウェイはワイヤーに火山灰が付着したため午後2時過ぎに運行を取り止めているという。そこで、従業員が使用する林道から車を回して緊急搬送することで意見がまとまり消防に連絡すると、

「噴火の警戒レベル引き上げられて半径3キロ以内が立入禁止になったので救助へ向かえない」

って、おい、何のための消防だよ(号泣)。

この時ばかりは流石に全員が呆れた表情になり、その後、怒りが込み上げてきた。ここにいる山小屋のスタッフの何人かは遭対協のメンバーだが(私は遭対協では無いので、救助要請があった場合、その応援に回るという立場です)、流石にこの時間にこれだけの人数を、徒歩で一時間掛かる6合目まで下山させるのは困難である。

結局、山麓にいた山小屋関係者が強行突破するかたちで車を2台回してくれたお陰で怪我人は無事に最短距離で病院へ搬送されたが、このあたりの規則に縛られた柔軟性を欠く対応の悪さは今後の大きな課題だと感じた。

7合目・行場山荘で温かいお茶を頂いた後は、石室山荘と女人堂のオーナー、それから山岳ガイドY沢さんなど主要メンバーが怪我人の搬送に当たることになり(ロープウェイの駅まで送り届けた後、戻って来て私たちと合流)、残った私たちは行場山荘で怪我人に付き添っていた5名以上の男女(自力下山可能な一般登山者)を伴って6合目まで下山することになった。

9月下旬の午後6時45分の山道と言えば、もうすっかり夜である。剣ヶ峰で働いていた頃は何度かこの道を通って6合目にある中の湯(現在は休業中の温泉)へ入りに行ったなあ・・・と懐かしく思い出しながら登山者の足元にライトを照らしながら先導する。

すると10分も過ぎた頃だろうか、後ろを歩いている若い女性からすすり泣きのような声が漏れた。そしてその声は次第に大きくなり、明らかな泣き声に変わった。その方がどこで噴火に遭遇したのかは分からないけれど、ここまで来てようやく生きて帰れることを実感すると同時に、噴火の恐怖を思い出して耐え切れずに涙が出たのだろう。それは、とても良いことのように思えた。

例え今回の噴火が私個人の力でどうすることも出来ないものであったとしても、秋晴れの下、見頃を迎えた美しい紅葉と大自然を楽しみに訪ねて来て下さった多くの登山者に、これまで経験したことのない恐怖を与えてしまったことは、御嶽山で働く者として非常に辛かった。

なので、どうかせめて怖かった記憶は涙と一緒に流して欲しい。そして、少しでも楽しかった思い出だけを持ち帰って欲しいと思わずにはいられなかった。

先頭を行く私も他の登山者も彼女の泣き声を聞きながら黙々と夜道を下る。

かつで何度か通った道とは言え、夜道は格別に長く感じるなあ・・・と思い始めた頃、下からライトが近付いて来るのを発見した。しばらく進んで合流するとそれは麓から応援に駆け付けてくれた地元の山小屋関係者や消防の人たちだった。皆、一様に無事を喜んでくれて、登山者には後もう少しなので頑張って下さいと声を掛けて回る(後で聞いたところによると、6合目から先は入山規制が敷かれていたが、強行突破して迎えに来てくれたそうである)。

そう言えば今朝は午前5時に起床してから朝食に緑のたぬきとカレーライス(←バランス悪いな)を食べた後は何も口にしていないことに気付いた。流石に身体にも疲れが出始める頃だったので、応援部隊の到着はとても心強かった。

そう言えば今朝は午前5時に起床してから朝食に緑のたぬきとカレーライス(←バランス悪いな)を食べた後は何も口にしていないことに気付いた。流石に身体にも疲れが出始める頃だったので、応援部隊の到着はとても心強かった。

それからしばらく進むと長かった木段が終わり、砂利道へ出た。そしてその先には照明が煌々と灯る6合目・中の湯の駐車場があった。普段物静かな駐車場(5月の荷上げではヘリポートとして使われる)には消防・警察・救急の車が並び、下山してきたメンバーは事情聴取を受けるかのように次々と名前や年齢を聞かれた。


私たちが到着した数時間前の中の湯駐車場の様子。7~6合目の登山道では降灰が見られなかったが、木段には火山灰が付着した登山者の足跡が続いていた。


雪が降ったように火山灰に覆われた御岳ロープウェイの駐車場

6合目・中の湯に到着したのは午後7時40分頃で、そこからマイクロバスに乗って御岳ロープウェイの山麓駅へと向かった。

そこには夜8時を回ってもなお多くの登山者が列を成しており身元の確認や今後の対応について指示を受けていた。また、安否不明者の家族の姿もあり、共に下山した山小屋スタッフの中には説明を求められる者もあった。

施設の2階には医療チームが待機しており、運ばれて来た怪我人の手当てを行なっていた。

その後、私たちはロープウェイ施設の好意によりバイキング形式のカレーやおにぎりを頂き、ようやく張り詰めていた緊張の糸を解くことが出来た。御岳ロープウェイには遭対協・三岳地区のリーダーがいたので、噴火の写真データと山岳会のリーダーが作成して下さった避難者の名簿を提出した。

そこからは各自解散となり、私とSさんは迎えに来てくれたオーナーの車で定宿である山陽館へと向かった。

その時点で私たちが共有していた情報は、

・御嶽頂上山荘に自力下山困難な若い男性登山者一名が建物の最も頑丈な部屋に残っていること。
・剣ヶ峰山荘のスタッフ2名と怪我人6名が残っていること。
・剣ヶ峰山荘から見て八丁ダルミの方角に4名ほどの登山者が取り残されていること。

の3点であった。

山陽館へ向かう道中、災害派遣というプレートを掲げた自衛隊の車列を2度ほど見た。幅が大きく、その度に路肩に寄ってやり過ごす必要があったが、暗い山道を続々と進んで行くその物々しい姿は今回の噴火の被害が想像以上に大きなものであることを示唆しているようで不気味だった。

木曽温泉付近では交通規制が敷かれつつあり、3合目から上へ向かう道路は通行止めになってた。山頂周辺が一変したのと同様、今回の噴火は見慣れた山麓の景色まで変えてしまったようだ。

山陽館に到着すると夜遅くにもかかわらず、温かい労いの声を掛けて頂いた。

この日は二の池本館に避難して下山してきた登山者も宿泊しているそうで、女将さんから、「彼らが口々に二の池本館の対応に感謝の言葉を述べていた」という言葉を聞いて胸が熱くなった。


部屋のテレビをつけるとNHKでは御嶽山の噴火のニュース一色で、画面の上には青い帯のテロップが流れていた。怪我人が多数いる模様や安否不明者の情報などがせわしなく流れて行く中で、「二の池本館スタッフ一名、明日下山」という文字が目に飛び込んで来てSさんと顔を見合わせた。

慌てて表示されている警察の臨時局番へ電話するも何度掛けても繋がらない。家族や親戚には無事を伝えてあるが、常連のお客様の中には心配して下さっている方もいるのではないかと思うと一刻も早くテロップを消してもらいたかったが、回線が混みあっているようなので諦めた。

Sさんと順番に風呂に入り、火山灰を被って山姥のようになっていた頭を2回洗うとようやく生気が戻って来るのを感じた。

そして、遅い夕餉の席に付くと、色鮮やかな食器に盛り付けられた手料理の数々が迎えてくれた。それを見た瞬間、色彩がある世界は素晴らしいなと言うことに気付いた。


いつも心の篭った手料理を有り難うございます。

噴火当日、心配して下さった方々からの電話やフェイスブックを通じて頂いたメッセージの数々、実家にハガキを送って下さった常連のお客様には本当に勇気付けられました。下山から2ヶ月ほどは噴火に関する夢を見てストレスを感じることもありましたが、今は大丈夫です。

この場を借りて心より御礼申し上げます。